憂鬱は凪いだ熱情に他ならない

2019年、香港にて
「本を燃やす人間はいつか人間を燃やす」
映画の編集がもう少しで終わる。と言いながら気づいたら2ヶ月が過ぎていた。
嘘だろ?ってなぐらいのスピードで。この島にはもう、春の匂いがしている。
気晴らしに一寸、図書館へ歩く。
物心ついてから、自分のいちばん好きな場所はたいていその街の古い喫茶店だったんだけど、
この沖縄北部名護には、もはやそんなものはない。あのコロナ禍で絶滅した。
よって、今のおれの好きな場所、暫定1位は名護の図書館だ。
図書館にいると安心する。なんだろう、存在としてSNSのショート動画の対極にあるのだと思う。
人々の複雑で丁寧な知性が降り積もって集合していることが心地良く、守られている気分になる。
ここでは死んだ人の価値観にすら触れることができる。
生きているシャバい連中より、死んだ賢者と対話している方がおれには贅沢だと感じる。
図書館にはヤクザが似合わない。本の香りは、なんて清々しいんだ。爽やかなんだ。
穏やかなんだ。
「本を焼くものは、早晩、人間を焼く」と書いたのは、ハインリヒ・ハイネだったが、
ハイネが死んでから約80年後、ナチスの手によってハイネの本は本当に燃やされ、
程なくして、ナチスは人間を燃やすようになる。まるで予言のような不思議な話だ。
そしてナチス総統、ヒトラーが死んでから来月でちょうど80年になることに気づいた。
そう考えるといやな予感が脳裏に去来する。
戦後80年の今、書物はまだかろうじて燃やされていないようだが、軽視というか、ほぼ無視している人々も多いだろう。
本を焼く者は早晩、人間を焼いたが、本を無視する者は早晩、人間を無視するのだろうか?
ハイネが今の世界を見てなんと言うだろう。
などとぼんやり考えていたが、思えばおれはハイネを一冊も読んだことがない、
それどころか、ハイネが何をした人物かもよく知らない、、、
すまん、ハイネ先輩。わしには学がない。
編集が終わったら、たぶん読む、この図書館できっとあなたを探す。
名残惜しく、死者と約束を交わしながら図書館を出ると、入り口の前にある土手を下の広場に向かって保育園児たちが駆け降りている。横に階段もあるのだが、きっと体力作りのような教育の一環なんだろう、そこそこ急な傾斜を3、4歳の子どもらがおっかなびっくり駆け降りている。
笑顔で駆け降りる子もいれば、怯えながらゆっくり慎重に降りる子もいる。
なんと愛らしいことか、小さな命だが、ひとりひとり皆、輝いている。
小さいながらにもう個性のようなものが垣間見える。
そして皆、思い思いに精いっぱい体を使って蠢いている。
私も一瞬、その土手を降りたい!と思ったが、自分が42歳の髭面でミドリの髪色のおじさんであることに気づき、その子らを羨ましく眺めながら、隣にある階段を下った。
こう見えて、私にもそのくらいの社会性はある。
広場では子どもらが竹馬に乗ったり、サッカーをして遊んでいて、これもまた非常に羨ましく、混ざりたいなと思いながら通り過ぎた。
緑の匂いが濃くなってきた。この街を囲む山々には春霞がかかる。海は太陽を写して鮮やかさを取り戻しつつある。私は普通の大人は歩かないであろう暗渠のコンクリートの斜めの部分を歩きながら家路につく。春の陽気で、あの小虫の群れ、ほら、あの蚊柱?
でも刺さないから虫柱?が頭にまとわりついてくる。しかしまあ一応無害っぽいので、かまわず歩く。
ジャングリア渋滞
家の近所の交差点は、ジャングリアのせいでもう連日渋滞していて馬鹿馬鹿しくなる。
7月の開業以降は、人口6万5千人の名護市に、毎日1万人の観光客を想定しているらしいが、
人口の6分の1弱も毎日、人が増えるなら、今のままのインフラでは無理筋なのは目に見えた話だ。
今朝の沖縄タイムスの一面には、ジャングリアの渋滞で救急車両が遅延する危険性が指摘されていた。あのあたりは大抵、一車線の山道だ。米軍様のおかげで戦後の始まりから都市計画がままならなかったこの島で、これから何が起こるかは火を見るより明らかだろう。
那覇から船で名護漁港まで来るというルートを偉い人たちが提案していたが、そんなの全然現実的じゃないよなと地元住民としては眉を顰めている。
名護の賃貸物件がほぼほぼ埋まっているという情報も聞こえる。
ずっと危惧してきたことだが、宮古島で自衛隊建設前後のバブルを機に起こったジェントリフィケーションがすでにこの名護でも始まっているのではないだろうか。
編集作業
いよいよ完成間近と言い続けて2ヶ月。
最後の最後のクリエイティビティを爆発させるべくレッドブルを飲み干す。
編集作業に集中していると朝昼晩の食事をどうするか考えることもままならない。
健康とクリエイティビティの両立は難しい。
バスマティライスをネットで買って、毎日、カレーやビリヤニを作って食べている。
ものすごくくだらない話だが昔は「付き合ってはいけない男の3b」というのがあって、
美容師、バーテンダー、バンドマンと言われていた。
しかし最近は「3C」というらしい。
それは、クリエイター、カメラマン、カレーをスパイスから作る男。
だそうで、私は見事にストラックアウト3枚抜き。
というかこちとらバスマティライスまで炊いている。
令和の付き合ってはいけない男、ここにあり、
という感じでまるでヴィランのようで鼻が高い。(でも少し悲しい)
音楽の時間
Awichこと本名、浦崎亜希子が韓国、中国、インド、カンボジアの著名なラッパーたちと共演した
「ASIAN STATE OF MIND」に胸が高鳴る。
アジアのラッパーたちの連帯、これは沖縄に生まれ「亜細亜の希望の子」と名付けられたAwichの人生のひとつの答え、と言っていい作品ではないだろうか。
(本名を英語にしたasian wish childの略がAwichの由来である)
「沖縄と日本をこの肩に背負って立つ」と彼女は歌ったが、
沖縄、韓国、中国、インド、カンボジア、この国々の並びが偶然か必然か、大日本帝国に侵略、植民地化され侵略された、(もしくは)抗った国々だということに驚きがある。
日本人がアジアの中心に立つのではなく、日本に植民地化された沖縄の、しかもインターセクショナリティを考えると最も抑圧されてきた存在である沖縄女性が、アジアの連帯の中心に立ったのである。
この姿には、重層的でタフなメッセージを読み取ることができるだろう。
米国による傀儡である自民党政権によって捏造された今までの名誉白人としての戦後日本像、そしてその結果、膠着したアジアとの関係を打破し、再構築する大きな一歩。そんな新しい潮流のアンセムとしてこの曲は機能するのだ。
ちょ、回りくどくなった。わかりやすくいうと、日本は戦後80年経っても、いまだに米国の属国であり、≒植民地なのだ。しかし、米国と日本政府は、「日本の植民地である沖縄」に、「日本が米国の植民地」である証拠(例えば70%の米軍基地)を集中させることで、これらの実状を隠蔽してきた。
その結果、沖縄には日米からの二重の植民地支配が重くのしかかり、一方で日本人は自身が植民地主義の加害者であり、同時に被害者であることも自覚できなくなった。米国と日本側の植民地エリートによって、そう仕組まれてきたのだ。
よって、日本人にとっての脱植民地主義とは、まず沖縄への植民地主義的な加害性を認識し、同時に米国からの植民地主義的な被害性を認識することなのだろう。
その先に、沖縄を日本の植民地主義から解放することと、日本が米国の植民地主義から解放されることがあるのではないか。
そんなドラスティックなイメージをこの曲から感じとったのだ。
ちょっと、まだ回りくどいか。この件はまたゆっくり言語化していく。
いろんな媒体で再三書いてきたが、現在の沖縄について的確に描いたWOWOWのドラマ「フェンス」が各種サブスクに解禁された。
辺野古や米兵の性暴力についても透明化せず描いている。
「世の中が正しくないから、正しいことができないんだよ」
このセリフには何度涙したことか。ぜひ見てほしい。
なんだか、この日記には政治的なことをあまり書かずゆるくやるつもりが、盛り上がってめちゃめちゃ政治的なことを書いてしまった。まあ、そんな気分だったのだ。
そういえば、4年間凍結していたメルマガの登録を再開させた。
こちらでは週一でニュース解説などをしていく予定で有料だけど無料でも読める設定。
というか、この「Imperfect days 」も無料なので、書き分けが難しいですが、
まあ、この時代にこんな合理的じゃない存在も自分らしくていいかなと思ったりしています。笑
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ロバータ・フラックが死んで、アンジー・ストーンが死んで、
昨日はロイ・エアーズも死んだ。SNSにR.I.P.とか書くより、
爆音で曲を聴きながら踊ったらいい。
ハイボールでも水でも、ひとりでも誰かと一緒でも。
それではみなさん良い週末を。
猪股東吾
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