どうすればよかったか?を観ました。

2025近況と映画、どうすればよかったか?について
猪股東吾/大袈裟太郎 2025.01.22
誰でも
那覇の桜坂劇場で見ました

那覇の桜坂劇場で見ました

2025年が明けた。戦後80年。沖縄は本土復帰53年。

撮っているドキュメンタリー映画の編集を昨年内に終わらせようともがいていたが、気づいたらもう1月も終わってしまう。時間との闘いだ。と思いながら、なぜ私はこの文章を書いているんだろう?今書きながらめちゃくちゃ矛盾していることに気づいた。汗

思えばこの「Imperfect days パーフェクトじゃない日々」の初回に書いたパーフェクトデイズ評というか、痛烈な批判、が最近また読まれていて、かの映画がサブスク解禁されたことを知る。

私の文章があの映画に違和感を覚えた人たちの受け皿になり続けているようだ。

というかこの日記の登録者の8割があの文章経由で登録した人なんです。実は。

残り2割は米兵による16歳未満不同意性交誘拐事件から。

あの事件は年末に、米兵に懲役5年の判決が下ったがワシントン被告は控訴している。

ワシントン被告が今どこにいるのか?知り合いの新聞記者やジャーナリストに聞いて回っているが、皆見解が違う。これもまた日米地位協定の暗闇だ。

すばらしき世界

名優:役所広司×世界が絶賛する監督:西川美和(『ディア・ドクター』『夢売るふたり』『永い言い訳』)初タッグ!実在した男をモデルに「社会」と「人間」をえぐる問題作。

■ストーリー

下町の片隅で暮らす短気ですぐカッとなる三上は、強面の見た目に反して、優しくて真っ直ぐすぎる性格の男。しかし彼は、人生の大半を刑務所で暮らした元殺人犯だった――。一度社会のレールを外れるも何とか再生したいと悪戦苦闘する三上に、若手テレビマンがすり寄り、ネタにしようと目論むが…。三上の過去と今を追ううちに、逆に思いもよらないものを目撃していく――。

「パーフェクトデイズ」といえば、年始に久しぶりに「すばらしき世界」を観た。

4回目だ。役所広司ボロアパート一人暮らしムービーとして、一見すると似ているように思われるこの2作品だが、私は圧倒的に「すばらしき世界」派だ。

脇役まで登場人物すべてに実存感がある。この点も2作品は真逆だと思う。

長澤まさみの長澤まさみにしかできない、怒りハイヒール走り、そして投げかけるぐうの音も出ない正論は圧巻だ。

キムラ緑子の「シャバは我慢の連続です。我慢の割に対して面白くもなか。だけど、空が広いちいいますよ」というセリフは近年の日本映画史に残る名台詞だ。

「人間」を描いている。そういう稀有な日本映画だ。

主人公が私と同じで高血圧なのも泣ける。

この日記の読者にはとてもおすすめ。

どうすればよかったか?

昨日、どうしても観たくて那覇の桜坂劇場で「どうすればよかったか?」を観てきた。

最近ハマっている芸人のみなみかわさんと、映画評論もする芸人の大島育宙さんが「炎上喫煙所」というポッドキャストの中で薦めていたのが大きい。

このふたりの目利きを最近とても信頼している。

20年前のデジカメのざらついた画質や辿々しいナレーションが不安で、まして統合失調症の人物の表情や挙動が画面に映し出されることに震えるような怖さを感じ、これは最後まで見れるだろうか、無理だったらすぐに出ようと、トートバックを抱きしめながら観ていたが、いつの間にかものすごく引き込まれていて、気づくともうラストシーンだった。

感じたことのない感覚、整理できない感覚がいくつも去来する作品だった。

ドキュメンタリー映画を制作中の身としては、ドキュメンタリーとはこうなんだ。

これでいい、ではなく、これがいいのだ。というような解をもらいながら観ていた。

観ながら、自ずと自分の映画の編集で悩んでいる箇所が埋まっていくという不思議な現象があった。

ネタバレを回避するが、いったい病気なのは誰なのか、わからなくなるような気分があり、こちらの感覚が問われ続けた。後半のある展開でその気分は誰にとっても確実なものになるだろう。

そしてその分岐点をきっかけに訪れた変化に、涙が出た。

こんな映画は観た事がなかった。

しかし、誰にとっても普遍性がある内容でもあった。

この家族は統合失調症に翻弄され、善意から正しい選択を遠ざけてしまったかもしれないが、

例えば精神疾患でなくても、親が子を思うあまり正解を見失ってしまうことはどの家族にも起こり得ることで、大人になっても親の呪縛に苦しみ続ける子どもたちは、この社会に無数に存在している。そしてそれが大きな事件につながることもままあるだろう。

子育てに関わるあらゆる人に、この映画は普遍的に作用するだろうし、

ましてや子どもを持たない私にも、他者への善意についてバウンダリーについて再確認する意識を芽生えさせる作品だった。

ひとりで鑑賞後、誰かと話したくて、宜野湾のあるバーへ行った。

そのバーにいる女性に話すと、ちょうどこの作品を観たかったのだと言って、写真家のマスターと3人で予告編を見た。写真集をたくさん置いた居心地の良いバーで、私はあれこれと話しながら、コーヒーとさんぴん茶だけで3時間ほど居座った。

この日は暖かく半袖の人も歩いていたが、沖縄とはいえ1月の夜は冷え込んだ。

ロングコートを持ってきてよかった。

どこに希望があるのか?

バーを出て、帰り道にふと考えた、観賞後に希望を感じたのはなぜだろうか。

何が希望につながっているのか。しばらく考えてもわからなかった。

宜野湾から北部まで高速を運転しながらぼんやりと考え続けた。

名護の家につき、あれこれと家事を済ませるともう深夜になり、

テレビでドナルド・トランプ大統領の就任式が始まった。

それを見ながらふと、気がついた。

この映画を20年以上も撮り続けた監督の存在。劇場公開にまで漕ぎ着けたスタッフたちの存在。

そしてそれらをしっかりとまっすぐ受け取った観客たちの存在。

そんな人々の存在に確かな希望が感じられるのではないか。

目の前ではトランプに忠誠を誓うイーロンマスクがナチスの敬礼をしていて、

社会や世界を不安に導いていた。だからこそ対照的に、

この映画の存在はこんな絶望的な社会にとって、小さいが確かな希望なのだろう。

希望の宿る映画を私も作りたいのだ。

右も左も猫も杓子もアルゴリズムに毒されたこの世界で、映画にはその外側に脱出する魔法がある。

例えば渋滞している道で、車から降りて歩いたほうが早い時があるように、

視点を変えれば、合理性などたえず転倒するのだから。

この日記は、これからもちょくちょく続けていきます。

実はboidマガジンで、映画の制作日記を書いていたり、

あとはメルマガもまた再開しようとしていたり、

なかなか書き分けが難しいのだけど、ここはまあ、息抜きという感じで続けていけたらと思います。

それでは、映画の編集に戻ります。

今年も皆様にとって良き1年になりますように。

猪股東吾

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