安和桟橋工事再開
久しぶりに抗議活動の取材記録を書いてみようと思った。
今日、安和の現場で浦添に住む初老の男性(たぶん定年退職後ぐらいの年齢の方)に声をかけられた。
「大袈裟くんあなたの文章のファンだよ。しばらく見かけていないけどまた書いてほしい。
あなたの文章が生々しくて、怒ったり泣いたり喜怒哀楽がこもっていて、好きだったんだよ。目取真さんのブログとあなたの文章を読むのを楽しみにしていたんだよ。今も沖縄にいるんだね。どこかアジアの国をさすらっているのかと思っていたよ」
数ある文筆家、作家の中で僕が最も尊敬する目取真さんの名前を出されると、僕も恐縮する。あと、まあ書いてはいるんだ最近も、ただ、映画作りに入った今年からは特に会員向けの記事やTHE LETTERなどに書いているばかりで、定年後の世代の人にとっては接点のない場所だったのだろう。ましてや、アジアのどこかをさすらっていると思われていたとは、、、僕が台湾や香港に長期でいたのは2019年だからもう5年も前なんだが、
そこから生配信をやめたり、媒体を変えたりしたから、その方にとっては音信不通みたいな状態だったんだろう。
こういう人がいるのだ。湧き出る汗と目の前の理不尽にフラフラするような安和桟橋で、僕は、なんだか勇気が沸き立つのを感じた。
そしてまた書いてみようと思った。ちょうど8年前の8月5日に沖縄北部、高江に来てから、最初はFacebookに書いていた。今読み返すと稚拙だと感じるような散文だけれど、それを繰り返していつのまにか、文章や写真が仕事になっていた。
ジャーナリストでも活動家でもない、必死に沖縄の基地反対運動にしがみついて目の前の理不尽を少しでも解消しようともがいていた浅草の人力車夫でラッパーだった。
あの頃のような気持ちでまた、筆が転がる先を気にせずに、ありのままの勢いで今を書いてみようと思った。ありがとう、浦添の紳士。
そして、文章を書きたいのにはもうひとつ理由がある。
先日から大浦湾で始まった杭打ち工事だ。
この映像を見て、私は立ち上がれないようなむなしさに襲われた。
多くの人が口にした表現だし、東京出身の移住者で島ナイチャーである自分がこの表現を使っていいのか迷うところだけれど、
やはりほんとに、自分の身体に杭が打ち込まれた気持ちになった。
私はやんばるに住んで8年になる。この海や森とともに生きている。
あの大浦湾には無数の珊瑚がひしめき合っている。数百年生き続けているものもいる。
珊瑚だけではない、海老も魚も、鳥たちも、昆虫や蝶だってヤドカリだって微生物だって、
今の自分はともに生きていると感じている。やんばるの私は人間の存在以上に、生物たちの息吹を感じながら生きている。
8年前に書いた「歩き続けろ」というラップで僕は、
「この森をこの海を失えば、人間だってきっと正気じゃいられない」と書いたが、
今はあの頃よりもっと切実な気分だ。
あの杭が一本打ち込まれる度に、何千もの生物が死に、何万もの生物に影響を与える。
それが7万本だ。
生態系が壊され、それらはもう自分が生きているうちには取り戻すことができない。
このちぎれるような悲しみを自分は感じた。そしてそれを止められないむなしさを狂おしいほどに感じている。
そんな時、アキノ隊員がSNSでつぶやいた
「自分の心に杭を打ち込まれているようだ、という感想を、海は必要としていません。本当にそう思っているなら今すぐやるべきことをやってください。」
そうだなと、正直思った。「自分の心に杭を打ち込まれた」ということまではできても、
その先の行動には結びつけられない人がほとんどだろう。
そういう人を責めるわけではなく、この貧しくなっていく我が国では、メシを食い、家賃を払い、子育てなどしたら、もう生きているだけで精一杯で倒れ込むように床に就く人々がほとんどになってしまっているだろう。
しかし自分はどうだろう。確かに映画作りは過酷だし、体調もあまり良くはないが、
でもまだやれることはあるんじゃないだろうか?
というか、やりたいんだと思う。
自分のできることをもっとやりたいんだ。
辺野古の杭打ちを止めるための行動をしたい。
そしてそれは、自分の身体に打ち込まれた杭を抜いていく行為と同じなのだろうと思う。
そうして今、ささやかながらPCの前に向かっている。
わけわからないぐらい忙しいし、ややこしいことばかりだけれど、
あと2時間ぐらいはPCに向かって自分の思いの丈を書き散らかしたい。
気が向いた方はお付き合いいただけると幸いだ。
朝7時頃、「虎に翼」を見るためにかけているアラームよりだいぶ早く携帯が鳴る。
先輩カメラマンからだった。ぼんやりしたまま慌てて折り返す。
「安和が再開するぞ。たくさん人が集まってる。早く来たほうがいい」
そうか、今日だったか。慌ててシャワーを浴びて身支度をする。
カメラの充電がまだフルじゃなくて焦る。
しかしうちから安和までは車を飛ばせば10分だ。
ギリギリまで充電して、髪も乾かさず家を飛び出す。
58号線、目が眩むような太陽に海が青々と反射している。しかしこの先の山が削られている。この対比にいつも苛立つ。この道は美ら海水族館にいく観光客が通る道だが、彼らはどういう思いでこのマッドマックスみたいに削られた山や、死亡事故が起きた抗議現場を見るのだろう。
現場には思いのほか、多くの人が集っていた。150人以上はいたと思う。
警備員が絶命し、抗議者も一時重体になったあの事故から2か月がたった。
まずは警備員に手向けられた花に手を合わせたいと思ったが、その場所はすでに防衛局によって通行を遮断する網がはられ、花もなく、事故前にはいなかった、よくわからないパトランプをもった警備員が立っていた。
おれたちは死者に手も合わせられないのか、お線香の一つも上げられないのか。
冥福を祈ることすら許されないのか、歯軋りをしたい気持ちになる。
そこに記念碑だって立てていいと思うような場所だが、
すでに何事もなかったかのように事故前の3倍以上の警備員が配置されていた。
人々が安和桟橋の入り口と出口を牛歩をする。事故前に行っていたように行儀よく行っている。しかし、残念ながらそれももはや牛歩とは言えないものだった。以前は一台づつ入っていたトラックが30台ほどの群となり入っていく。その間、歩道は網を使って通行できなくなり、牛歩しようと残っている人々は事故前の何倍もの数の機動隊に排除される。
市民たちは知恵を絞り法律の範囲内で行っていた牛歩すらも奪われてしまっていた。
数年前、あるライターの女性を安和に連れていった。初老の女性たちが黙々と静かにゆっくりと歩き、トラックに向けて手を上げて合図を送る様子を見て、まるで祈りの儀式のようだと言った。整然と秩序良く行われる牛歩はまるで群舞のようだと私は思った。
ゆっくりと歩く人々はその背中に何万もの海洋生物の命を背負っているように見えたのだ。それは過去と今と未来をつなぐ、命のための祈りの踊りのようだったし、実際にこの行動が行われている理由も近しいものだろう。
そして彼女たちは歩きながらトラックの台数をメモしていた。
この数年、来る日も来る日も朝7時から夜8時まで交代しながら、抗議者たちは工事の進捗状況を逆算して、この行動がどの程度の成果を上げているかを理路整然と把握し、共有してていた。実際、この行動で辺野古へ運ばれる土砂の量は3分の2に減少させていた。それは試行錯誤の中から生み出したギリギリの叡智のようなものだった。
むろん当然、合法で非暴力だった。
辺野古の基地建設へ運ばれる土砂の搬入を半減させ、工事の進捗を遅らせる。直接行動と呼ばれる抗議方法だ。
座り込みも牛歩も一日の工事車両の台数を数え、成果を定量的に可視化しながら行われている。
#沖縄
#辺野古
2018年ごろから始まったこの牛歩に変化が訪れたのは、事故の2ヶ月前だった。安和桟橋を統括していた企業が変わったのだ。これによりそれまで抗議者とトラック運転手、警備員の3者の中にあった暗黙のバランスが崩された。今までより早いスピードでトラックが出入りするようになったとの証言がある。
今月13日に沖縄のダンプカー運転手労働組合が、沖縄防衛局に対し「効率を上げるため2台同時に通行を行ったことが原因」と指摘し、安全管理の徹底を求める要請を出したことからも、今回の事故原因の背景に急激な労働環境の変化があったことは明白だろう。
しかし、防衛局は事故原因をはっきりさせぬまま、抗議者に原因があったかのような曖昧な文言の要請書を県に提出している。
今日集まった人々はこれに大きな怒りを感じているようだった。
そもそも抗議運動を事故原因とするならば、抗議運動が30年近くも続く状況を作った存在、防衛省、そして政府こそが法治国家として、また民主主義国家として問われるべきだ。ましてこの抗議活動には幾度もの選挙結果や県民投票、住民投票の結果という真っ当な裏付けがなされているのだ。
そんな民主主義国家として正当な主張を背負った抗議者たちが今日、安和桟橋で強制排除された。
こんな光景は民主主義の破壊でしかない。
理不尽の上に理不尽を重ね、踏み躙られていく今の沖縄姿を、私は怒りを押し殺しながら撮影した。
午前だけで4回の排除があり、60台以上のトラックが入っていた。
これからも工事を強行します。という防衛局の意思と、
それを許さないとする市民たちの意思が強く摩擦するような現場だった。
文字にするのは簡単だが、ここに集う人たちも広く沖縄県内からわざわざ駆けつけた人々だし、皆、この炎天下で大汗をかいていた。
そうまでして集まった人々なんだ。自分は抗議運動を全肯定する立場ではないけど、それでもこんな自分の利益ばかり追い求めるのがよしとされる世界の中で、本当に利他的で尊い人々だと思う。
おれだって午前中だけで車に戻って2回着替えるくらい汗をかいた。
そこにいるだけで体力の消耗も並大抵ではないし、排除やまして逮捕されるプレッシャーだってある、血も涙もない国家権力が問答無用に露わになる場所だ。
いるだけで本当にキツいんだ。
午後にまた搬入が再開される。
抗議者はだいぶ減ってしまった。そりゃそうだみんな、自分の生活がある。
少ない抗議者があっという間に排除され、またトラックが通っていく。
沸々と怒りが体の中に溜まっていく。
トラックの通過中、警備員たちが集団で「危険ですから工事車両に近づかないでください」と復唱させられている。すでに皆、排除されている状態だから本当に意味がない行為なんだが、まるで壊れたロボットみたいに警備員たちが繰り返し繰り返し復唱する姿に恐怖を感じた。自国民にこれをさせているのも防衛省なのだ。
ましてこの場所で犠牲になった警備員たちにそれをさせているのがもはや国家という狂信を感じた。人間をもの化してコントロールしていくのがこの国の防衛省の仕事なのだろうか?
心底恐ろしい国だ。すでに人間も自然もぶっ壊している。
さらに驚いたのは「危険ですから工事車両に近づかないでください」の復唱を抗議者がいない場所でも言い続けていることだ。なんの意味があるんだろう。
もはや彼らが可哀想というか、これは事故を起こしたことに対する防衛局から警備会社への刑罰なのではないかとすら感じた。
#沖縄
#辺野古
15時前、明日の米兵の不同意性交事件の取材を考えると、そろそろ現場を去らなくてはならない時間が来た。私は入り口と出口の間に置いていた荷物をピックアップしようと思ったが出口前の歩道がトラックの搬出で25分以上通行できなくなっている。
しびれを切らした私は車両の通行のないのを見計らって反対車線の歩道にわたって、通行できないポイントを超えて、そこからさらに元の車線にわたって荷物をピックした。
同じ手順で戻る時、機動隊が高圧的に、車道を渡らないで!と言葉尻だけ丁寧に怒号を飛ばして来たので、お前らが規制してるから渡ったんだよ。警官だからって恫喝すれば市民が言うこと聞くと思い上がるんじゃねえぞと、ばちばちにコトを構える。
突っかかってきた若い機動隊に、じゃあ言うことを聞いてやるから名前を名乗れ、
人の動きを強制したいならそれなりの段階をふまえろよ。どういう根拠で規制してるんだ。というと、機動隊員は言葉に詰まる。私が詰め寄るとその警官は上司に促されおずおずと機動隊の群れの中へ逃げ帰った。
おい、どういうことだ。さっきまでの高圧的な態度はどうした。おれのことを強制したいんだろ?偉そうに無理やりやって揉め事をつくったのはお前らだぞ。
などと、私もキレている。図体のでかい機動隊たちも論理的に返答できるものがいないらしく戸惑っている。私はもはや腫れ物、カメラを回しながら食ってかかる。
この公道を今、誰が規制してるんだ?県警か?防衛局か?県警ならば責任者は誰だ?
名前を名乗れ。
そういうと機動隊に守られながら、少し年配の隊長らしき警官が出てくる。
あんたが責任者か?あんたの権限で規制しているのか?
名前を名乗れ。こんな方法じゃ、より歩行者は危険だ。
この絶対に間違った、非合理的な規制をしているのは誰だ?誰の責任だ?
あんたの責任か?
そういうと、隊長らしき警官は、早口で苛立っているような怯えているような口調でここの規制の元となっている法律を言う。
ただ、それが正しいとは限らない。かつて高江では機動隊の車両規制が後の裁判で敗訴したことがあるからだ。
それも踏まえて、ここの責任者はあんたか?名前がわからないと責任の所在がないに等しいじゃないか。言うことを聞くから名乗れ。おれは猪股東吾だ。というと、
隊長らしき男は敷地内に逃げ込みながら「田崎」とだけ言った。
下の名前は?人に名前を名乗る時、上の名前だけ名乗るなんて失礼じゃないか?とこっちもごねる。(ごめん、先日、「地面師たち」を見たからかもしれない)
田崎さんは頑なに下の名前を言わず、敷地の中に消えていった。
正直、卑怯者だと思った。警察だから卑怯者になるのか?
卑怯者だから警察になるのか?
それはわからないが、まあご苦労もあると思うが、市民に対する解像度があまりに低い。
あまりにも馬鹿げた警察の運用だと思った。
暑さも伴いイライラしながら車を走らせて帰った。
車の中でNENEの「地獄絵図」を爆音で聞いた。
温暖化で珊瑚も白化し問題になっている。先日の宮古島付近でできた台風も関東付近でできた台風も、緯度が高すぎる。これは明らかな温暖化の証拠だ。
地球自体がもうSOSを出している時に、我が国はあの自然が溢れる辺野古に杭を7万本打ち、埋め立てる。まったくバカに拍車がかかった社会の、とくにバカな国だ。
それでもこんなバカな国をどうにか止めなければならない。
私は本気でそう思う。
先日ヤンバルクイナのドキュメンタリーを見た。
人間のせいでヤンバルクイナは2021年に絶滅するはずだった。
しかし、それに歯止めをかけるために立ち上がった人たちがいた。
おかげで現在もヤンバルクイナは滅びずに、まして数を増やしているのだ。
間違いに気づいた時、人間は軌道修正できる動物のはずだ。
まだ戻せる。諦める事はない。
この人間が人間同士、首を絞め合うような社会を国を私は決して許さないし、
どうにか変えていきたい。
今、涙目で本気でそう思っている。
今日はそんなことを考えた1日だった。
最後に機動隊と揉めたのだけがちょっと余計だったかもしれない。
でもまあ、次、県警の田崎さんに会ったら、こないだはゴメンと言おうと思う。
もう疲れた。
明日はあの事件の裁判だ。
寝る。
※冒頭の浦添の紳士に
「寄付をちゃんと集めたほうがいい。私たちが寄付する」
と言われたので寄付を再開します。
ただthe letterに寄付先を貼っていいのかわからないので、
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